好きはきっと最高級

好きなことの話をざっくばらんにします。

誰もにある闇について(映画:夜明けのすべて)

自分にとって、『病名がついてホッとする』という言葉が、地に足ついた言葉になったのはPMSを知った時だと思う。

生理のたびすごくお腹が痛くて、なんなら腰も痛くて、朝貧血で起きれなくて、電車に乗るのも乗り続けるのも辛くて、ずっと眠いし、鬱々とするし、昼は何もかもに嫌気がさすし、夜は哀しくてたまらないし、そんな辛い日々に理由があったことが、とても救われた気持ちになった。

こんな夜は独りでなくて、日本に、世界中に、同じ悩みを抱えた人がいて、またそれを解決しようとしていた人がいたのだと。

そんな自分にとって、PMSを抱える主人公は自分の生き写しのようで、冒頭のシーンから思わず涙が出てしまった。なんだかもう、きっと細部では違うのだが、限りなく同じ痛みを感じた事があったからだ。

治し方が本当にわからなくてあらゆることを試しながら生きること、とにかくあったまって独りで丸まって泣くしかできないこと、洗濯物すらうまくできないこと、人目があるのももうどうでも良くなって体がしんどさで動かなくなること、普段なら流せる苛立ちに全部触覚が動いてしまうこと、全部わかるとしか言いようがない。また、自分の力でどうにもならないのに、自分が人を傷つけてしまったということが、また自分を嫌いになる材料になって何度も何度も自分を縛り上げる感覚はそれはそれは身体に染み入っていた感情だった。

 

あまりリサーチをせずに見に行ってしまったので、最初に原作が瀬尾まいこさんと知って驚いた。でも同時に、なんだか納得した。『そして、バトンは渡された。』がすごく好きなのだが、もちろんテーマも作風も違うが、なんと言うか、描かれている人たちの温かみみたいなものは同じようなものを感じるのだ。意外と、自分が思っているより周りの人って優しいんだよねっていうことをひしひしと感じさせられる。今回も、職場の人たちや、出会う人たちが、もし一緒に過ごしていたら確かにイライラする瞬間もあるかもしれないけれど、優しさに溢れた人なんだろうなと言うことを常に感じるのだ。

 

でも、そんな温かい人々一人一人に、自分の身体が自分の思う通りに動かない時がある。主人公の『自分の身体が思う通りに動かない』という感覚に私はとても頷いた。本当はキビキビ働きたいし、イライラもしたくないのだ、でもできない、そう身体が言うことを聞かなくてもどかしい、何よりも自分のものと断言できるはずのこの身体が自分のものでないような気がする苦しさ。

それを登場人物1人1人が持っている、理由は病気だったり、身近な人を亡くしたり、家庭環境だったり、全くそれぞれではあるんだけども。

みんなそんな中でこの星のもとに生きていて、この星を眺めていて、夜明けを待っている、ただそういう事実があることを改めて思い起こさせてくれて少し世界に優しくなれるような気がした。

細かく好きなところを語りだすと終わらないが1番はこのテーマが伝わってくるところだと思う。

人は思わぬところで救われることがある、という3月のライオンのテーマであり言葉でありセリフを私は自分の一つの目次としている。人の救われる瞬間というのは、きっと自分の予測したタイミングではない。数十秒後かもしれないし、50年後かもしれない、救われると思っても見ないところで救われるものだと思う。彼らにそれがくるのが夜明けであり、それはきっと思わぬところであり、それはそれは美しい朝日が見える瞬間だろう。

 

余談:まだ私があう薬に出会う前、本当に辛かった頃のPMSの症状を綴った日記があった。誰に読ませるつもりでもないけれど、苦しくて誰かにわかって欲しくて書いたものだった。これは映画だからファンタジーでしょ?と思う人がいたら、少なくともこのぐらいしんどい人はいると参考にしてほしい。どうか、病気に位を付けず、身近な人を労わって生きてほしい。