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未来は輝いてるなんて言うシラフじゃ言えない言葉の話【すずめの戸締まり】

すずめの戸締まりが公開となってから、初めての土日を挟んで月曜日。仕事がら、最新のエンタメには目を通す人が多く、その日出勤だったメンバーは全員土日にすずめを見ていた。ポロポロと感想を共有しながら、先輩Aが
『でも、本当に東日本大地震の中心で被災した人がどう思うんだろうね。』と言った。弊部には東北某所出身の先輩Bがいる。先輩Cは、先輩Bに少し目配せというか、含みのある表情を向けた。それを見た先輩Aは、『でも、コイツ東北出身っつってもそんな被害の場所じゃないっすよ?』と言った。温厚な先輩Bは、暖かくて柔らかい何かで包んで、僕の被災経験を話していた。それを聞いて、全然"そんな被害"じゃない、と思い、先輩Aにイラっとした。その配慮のなさにイラっとした。だけど、その先輩Aの言葉で先輩Bが自分の事を語り出したのは事実だ。配慮がないのは良くない、でも、誰かが踏み込まなければ広がらなかった、知らなかったことなのかもしれない。もちろん踏み込み方はあるのだが。

そういう意味で言うと、東日本大地震の被災者ではないわたしが言えることではないとはいえ、すずめの戸締まりは温かい踏み込み方だったと思う。
もちろん、当時を想起させるシーンは多い。緊急地震速報の音、窓サッシがガタガタと言って地震がだんだん肌に感じられるようになる雰囲気。二次災害である火災を思わせるような、扉の向こうの世界。ただ、(私が当事者でないことも大きいかもしれないが)どちらかというと、そんな直接的に想起させるシーンより、今何もない場所に本当は生活があった、暮らして生きている人がいたと土地の声を聞くシーンの方が胸が苦しくなった。どれだけの人が『行ってきます』と言って生活していたのか、言ったのに『ただいま』はいえなかったのか。それを思わされた瞬間がつらかった。
そのほかにも、すずめが母を探し歩いた時の日記のシーン。真っ黒に塗りつぶされた日記と当時の音。もし画があったら辛かったかも、と思ったけれど、画がなかったからこそ、自分の中で小さなすずめの当時の姿がまざまざと脳裏によぎる。その日記にもう、何も書けないほどに疲れて考えたくなくて先が見えなくて、真っ暗でたまらなくて、そんな姿が画としては見えないのに頭に膨らんでいく。未来が見えない、暗闇の中を歩くすずめの姿。

災害の辛いところはそこだと思う。シン・ゴジラで、国民を速やかに避難させて欲しいという指令に対し「避難というのは、住民に生活を根こそぎ捨てさせるということだ。簡単に言わないでほしいな」と言ったことが話題になっていた。その通りで、ただ自分の大切な人が死んだだけでも大概辛いのに、その土地に今まで通り存在できなくなり、そこで当たり前のようにあった生活がなくなる。自分が当たり前だと思っていた全てが覆るのだ。何か一つがなくなったのではない、今自分の手元にあるものを数えた時、無くしたものの方が多いような状況だ。そんな状況で、未来の事が考えられるだろうか、明日どうやって過ごすのかも見えないのに。

その苦しみをしっかりと描いたからこそ、今のすずめが小さなすずめに言ったことがとても身に染みた。今のすずめが小さなすずめに言ったことは、ある意味ただ事実を述べただけだ。今のすずめは小さなすずめがどうやって、また美味しくご飯を食べられるようになって、お母さんがいなくても『いってらっしゃい』が言えて、好きな人ができて、そうやって今まで生きてきたか知っている。だから自信を持って言えるのだ、"貴方の未来は輝いてるよ"と。
私には、この言葉を言うためにここまで映画が描かれてきたんだなと思った。
私は、東日本大地震で被災していない、大地震や土砂災害、河川の氾濫、そう言ったものには幸い会わずに生きてきた。だからって、自信を持って毎日幸せでした、とは言えない。いろんな事があったし、その中で明日ってどうなるんだろうと未来を疑う瞬間だってあった。日本は災害大国だが、それでもきっと私と同じように被災はしていない人も多くいるだろう。でもその人たちにもこの映画が響くのはこの点だと思うのだ。
生きていれば、未来を信じられない瞬間は出てきてしまう。その時に、何の根拠がなくても、自分の未来は輝いてる、そう信じて生きるしかないと言う事だ。そう信じて生きていけば、未来は輝くということだ。書いててめちゃくちゃ恥ずかしくなるくらい単純で当たり前のことなんだけど、大人になったり、本当につらいときってすぐ忘れてしまう。それを伝える為に、扉の中は時の流れが混同することなど様々な仕組みが織りなされていたのだと思う。

今、震災をあんなに大々的に取り扱うことについて、賛否両論ある。でも、議論すべきは震災を取り扱っているか否かではないだろう。震災だけでなく様々な苦しみがある中でどうやって自分が前を向くかを思い出させてくれる、作者なりの前の向き方の答えを伝えたかったのかなと思う。どうやって私たちが立ち上がってきたのかが議論されるべき点なのかなと思う。