好きはきっと最高級

好きなことの話をざっくばらんにします。

時間という価値 (映画メッセージ考察)

これを書くにあたって、大きな声で言い訳がしたい。私は数学も哲学も文学も全てにおいて理解に疎い。だから、感覚で今から文章を書く。


arrival (邦題)メッセージ、という映画の話である。

原作は『あなたの人生の物語』らしいがそのものの解釈や結末が微妙に違うらしいので、今回は映画のみに言及する。

ネタバレしかありません。


この映画を見るきっかけは、純粋に人に勧められたからだ。普通、人に物事を勧められた時、何処が面白いか何処が惹かれるだろうという事を伝えるだろう。

しかし、勧めてくれた人は、何度読んでも咀嚼できない部分があると言ったご様子だった。


視聴後、私も全く咀嚼できなかった、食べ戻しである(汚い)


とにかく言えるのは、フラッシュバックじゃなかったんだという驚き。アハ体験ですよなんなら。普通、Aという映像の次にBがきたら、過去の話かな?と思うし、もしその映像の主が未来予知能力者です!っていわれたら、Bは未来の話かな?と思うけれど、今回はどっちでもないの…か…というのが難しいところなんですよね。


時間が輪として表されるということが正しいのかなぁと思います。

私たちは時間軸を一本の線として表します。線を書き、真ん中を今だとすれば、それより左は過去、それより右は未来と言ったように。

一方、ヘプタポッドはその時間の過去や未来を持たない。常に自分の過去や未来を行き来できる、つまりそもそも現在だとかそういう時間の概念がないという方が分かりやすいのかもしれません。時の流れは常に輪として存在し、自分はその中心にいる。手を伸ばせばどの時点の私としても、感じることが出来る。と言った感じなのでしょうか。


冒頭で、

でも時に流れがなかったら?

という部分です。まさに。そこに存在する、もの。流動的なものではない、過ぎ去るものではないという考え方。

その考え方、ある種の特殊能力のようにみえる捉え方をひろめるために、考える基盤である言語を与えた。これが、武器である。

というお話だと。


だからこそ、気になったのはセブンポッドのアボットが死んだ時、コステロ

アボットは死の過程にいる』

と言ったことである。死に過程ってなんやねん。例えば、死にかけであるとか、瀕死であるとか、そうじゃなくて、死の過程にある、ということである。


そして、最終シーン付近、ルイーズは

『ハンナ、あなたの物語は、彼らが消えた日に始まったの』

と言った。まだハンナは生まれてないけれど。ここでガッテンが言った。


セブンポッドの与えてくれた時間の概念というのは、縁がむすばれ、そのひとの時間(存在)の輪が確定したことなんではないかと。そうすれば生は、両親の出会いであるし、死は難しいけれどそれが忘れてられてしまった瞬間だったりするのかもしれない。そのひとの生命の有無が生死ではないということなのかもしれないとぼんやり考えていた。そのひとの時間の有無が生死なんではないかと。

(だから、生命反応の有無という意味では、アボットはルイーズが最後に殻内に訪れた時点で死んでいたのではと思う)


ここまでは概念の話なのだけれど、私がすごく納得いったというか、納得せざるおえないなぁと思ったのは、この宇宙人が来たことそのものに不可解な部分を持たせないことである。

説明した概念をもとに言えば、セブンポッドは、俗に言う未来の見える存在である。3000年後に己の文明が脅かされることも理解している。と言うことは、人類がどのように助けてくれるかも知っている。さらに言えば、もし自分らが降り立ったとして地球の人類という生き物がどのような行動にでるかもある程度理解の上だったのではないかと思う。そうなると、私たち人類にとっては宇宙人の帰来、経済と世論の混乱、良いことなしのように見えるが、それが最善の選択であり約束された変えることのできない選択だったのかもしれない。

だから、よくヒーロー映画とかにある、なんでこんな効率の悪い方法で人類を倒すんwみたいな話は野暮なのだ。それしか、彼らには選択がなかった、決められた縁であったのではないかと思う。こう、野暮って言い切れる環境下って面白いと思った。


放映から時間が経ってしまって、他の人の考察があまり読めていないので、少し自己中心的な考えになってしまっているのだけれど、まぁ考察なんて自己中なものと割り切ろう。


最後にルイーズは、

この先何が起きるか分かっていても、でも構わない。どの瞬間も大切にするわ。

と言って締める。

この一文のせいか、ルイーズはこの先を知っておりその幸せを捨てるのが惜しいと思い未来と同じ人生を送ると決めた、という考察をよく見かけた。瞬間の愛おしさを伝えたいんだ、みたいな。

私はイマイチそれが馴染めていない。洗濯を変えたとして、もうそこに未来の時間は存在している、すでにルイーズは時の輪の中にいる。

だが、彼女はもう線的な時間のみしか持たない頃には戻れない。もう知ってしまった。

それは人生という意味でみれば面白くないことかもしれない、どれだけベストを尽くしたとしても彼女にとってそれは予想の範囲内でしかないのだ。だけれど、彼女はそれを構わないと言った。

かつ、彼女は輪の中におり、時間はいつでも触れられるものだ。今私たちは時間は過ぎ去るものだから、儚いものだと、価値を見出している。この輪としての時間はその、価値すら覆す。

そうであっても、彼女はどの瞬間も大切にすると言ったのだ、元の価値観も尊重したうえで。

彼女は二つの価値観をもち、その上で自分なりの価値観を見出した。これこそがこの言葉の真髄ではないかと感じた。


だからこそ、arrival=到達 なのかもしれない。