好きはきっと最高級

好きなことの話をざっくばらんにします。

生と死と行動力

私は『行動力があるね!』とよく言われるけれど、いまいちソレがピンと来ていなかった。
そのぼんやりとした行動力という言葉が何を指すかイマイチ分からなかった。

友人が『なんで生きてるんだろうって思うんだよね、死んだら全部無に帰すんだから、死んでるのと変わらないんじゃないかなって。時々猛烈に死ぬのが怖くなるけど。』
と言った。閉店ですと言われて、皆んなでカフェを出る直前である。

『とりあえず100冊本読んでみたら?大体そういうことは昔の人が散々考えてくれてるから今1から考えてもおんなじ道行くだけやし、多分それ答えは出てないで……』
ぶっきらぼうに返したのだが、

ソレだよ!!!!ソレ!!!!

とすぐにまた私にパスが返ってきたものだからびっくりした。

『普通の人は、悩んだからとりあえず本100冊読もう!とはならんよ!それが行動力なんよね!』

私の行動力というのはこういう部分らしい。
自分としては、楽に楽しく生きていくために動いているだけなのだ、それがそう見えているらしい。(それに読書がそもそも好きだという部分も大きいのだろう)
理系なら、というか、研究段階まで学びを進めた人間なら分かって頂けると思うのだが、
新しい発見や学びは分解と理解の積み重ねだと思うのだ。
例えば、未知の生物Aの研究をするとき。
1.Aの胃からBが出た、Bを捕食する動物に近いのでは?→Bについて研究した論文を読む
2.Aの体組織はCと同じだ→Cの研究方法と同じものを試すためにCの論文を読む
etc………
そんなふうに、Aに関する情報を分解してはそれに似たものを読み、分からない部分を分かる部分へと理解に変えていくしかない。
これは別に学びに限った事ではなく、大抵のことにも言えることなのだと思う。

そう思うと、きっと『なんで生きてるんだろう』だって分解して少しずつ理解していくしかないのだと思うのだ。
とはいえ、この問いに関してはあらかた答えは出ないし人によることがわかっているので、微妙なのだが。
という訳で、答えにはならないかもしれないが、私の持ち前の行動力で(言っていて照れてしまう)私の今思う分解を私が知っているだけの作品を交えて伝えようと思う。

 

 

〈風と共にゆとりぬ 文春文庫・朝井リョウ
めちゃくちゃ面白い!読んで得るもの特にナシ!!!!(文庫版帯より引用。笑笑)

まずそもそもの話なんですけれど、そんな悩みを解決する上でなんで本なの?というお話の解答に使わせていただきたいなと。
P257より引用

本は、言葉とともに、視点を与えてくれる。世界を見つめる視点を増やすことは、今あなたを苦しめている相手を倒す武器にはならないかもしれない。だけど、あなたの心が一点からの圧力によって押し潰されそうになったとき、目には見えない盾を構築する要素にはなってくれるはずだ。

というわけで、今この悩みに押しつぶされそうな貴方の盾になりそうなものをいくつか選んでみたのである。

(この部分を知っただけでは、さぞ含蓄あふれた本なのだろうと思ってしまうかもしれないが、本当に面白い・馬鹿らしい・大人気がなさ過ぎてありすぎる(?)が9割の最高に笑えるエッセイである。)

 

〈さよなら夏の友だち 村山早紀
チャレンジの付録についていた短編なんだけれど、未だに持っているもの。
どこかの文庫に収録されているかもしれないけど見つけられなかったので紹介するのがアレなんですが。笑笑
主人公は親友がいじめられているのに何も助けられず、自分が嫌になってしまう。親友が虐められているのを見ずにすむ夏休み、訪れた祖父母の家で、湖に住む不思議な少女と出会う。
以下P28より

『わたしと湖で暮らしましょう。湖の底で。水草の上に座り、魚たちと光る水面を見上げて暮らしましょう。ずっと。永遠に。ここなら、怖いことはなにもない。傷つくこともない。もう、泣いたりしなくていいのですから』
〜〜省略〜〜〜
この子と一緒に、湖の底で、柔らかな水草の上で、ずっと暮らしていられたら…そしたら毎日、綺麗なものだけを見て、笑顔でお話ししていられるのかな。優しいことだけを考えて、話して、生きていけるのかな。誰も傷つけず、傷つかずに生きていけるのかな。


お魚大好きガールなわたしは、そのお誘いもいいかなと思った。多分死ぬことはこのお誘いに等しい、なにも考えなくていいそんな世界に行くことだ。それをすぐに許容できるかと言われたら、それは違う。まだ違う気がする。だから少なくとも、死ぬ理由には、なにもしない理由にはなり得ないなと思うのだ。

 


〈そして、バトンは渡された 瀬尾まいこ
これに関しては引用するとかそういうものはない。ただ、タイトルにもあるように、生きていくこと、自分が成長していく中で渡されるバトンは必ずあると言う話である。
この本を読む前に、親から子へ脈々と受け継がれる何か=バトンと表現する物語かと思っていた。でもそうでなく、他人である人が自分にこれだけ新しいものを与えてくれていたこと、それによって自分は成長してきた事をバトンとしている。自分にもし血の繋がった家族がいなくても、これから子供を作らなかったとしても、自分が渡すバトンというのはそれだけじゃないこと。そのバトンは渡す側からはありきたりでも受け取る側からは大きいものだということを率直に伝えてくれる本だと思う。

 

すべてがFになる 森博嗣
死への恐怖は私たちがそうプログラミングされているから、そんな哲学的発想を広げたいのならおすすめ。
アニメ化もしているけれど、地の文の方が楽しいかなと思う。
これも、引用しだすと主要人物四季の一言一言が哲学的で身につまされる(中二病ごころ動くといわれるかも)ので引用はしないけれど、
この本の感想を読み漁っていた時、どこかのブログで『この本は生死に関する壮大な思考実験である』と言っていて面白いなと思いましたね。そのブログも見つかれば良かったのだけれど、発掘できませんでした、申し訳ない。

 

〈マイ・ブロークン・マリコ 平庫ワカ〉

Twitterでばずってたので、見たことがある人も多いかもしれない。

似たような作品ってもしかしたら多いのかもしれない。

ただ。大切な人が死んで、悲しい。その悲しいって感情を分解して分解して分解した中に、どんな感情があるのか、それを紙面でいっぱいいっぱいに表現しているからこそたくさんの人の胸に突き刺さったのだと思う。悲しいなんて薄っぺらい形容詞じゃ表現できない感情が手に取るようにわかってしまうところが人を魅了したのだと思う。

引用というかs、この一言が印象的だ。

「こうやって、日常に戻っていくんだ」

何かを失って心の穴がぽっかり空いたり、何かを知ってしまってもう元には戻れないんだと悩んだり。でも、”こうやって日常に戻っていく”それは少しずつ生活の中で訪れる、ということが描かれているのが印象的だ。生とか死とかに悩んでしまった、だからもとには、悩む前には戻れないというわけではない。常に戻り続けて、反復横跳びのように行き来しながら生きているんだと思う。

 

〈i 西加奈子
タイトルの通り。もう結末を引用してしまうが、P297より。

世界には間違いなく、アイが存在する!
誰に否定されても、やはり自身で信じられない瞬間があっても、それはあるのだ。ずっと。これからも、絶対に存在し続けるのだ。絶対に。

私はなに?私はどこ?ともがいて叫ぶ、そんな作品なのだけれど、悩みの根本みたいなものは似ている気がする。現実に向き合うとか、世界の悲しみを知るとかそう言うことに立ち向かうためには(そんな必要ないのかもしれないけど)
"私"が"私"としてここに強く立っているしかないんだっていうそういう率直な強さが生きる上であるだけで十分なんじゃないかな?と思ったり。

 

西の魔女が死んだ 梨木果歩〉

私が人生で一番大切にしている本だ。悩んだときに開く本だ。

今回のテーマである生とか死とかにも深くかかわっている以上に、自分があるがままに楽に生きるために、どうすればいいのだろう、ということが詰まっている。

勿論この本がすべて正しいというわけではないとは思う。ただ、この本が教えてくれる考え方や気の持ち方というのは、自分にかなりフィットしていて心地よいなと感じている。P116に「おばあちゃんが信じている死後のことを話しましょうね」と始まる項がある。そこに載っているいわゆるおばあちゃんの答えはとってもふんわりしていてファンタジーのようでなんだか納得がいかない。それこそ主人公と同じような感想が出てきてしまう。でも、もっと大枠でみれば、死というものを悲観しないこと、それを恐れであるかのように後の世代に煽らないこと、をまず意識しておばあちゃんは私たちに伝えているのだろう。それに加えて、ただ生きているということがラッキーでそれが本質だと思っていた方が仕方ないなと前に進めるということを伝えてくれる気がする。自分が好きで生きているわけでもないのに、まあでも魂がそうしたいっていうなら仕方ないか!そんな割り切りができてしまう言葉だと思う。

加えて一番好きなのは、その会話の最後の部分だ。日常の小さな一つ一つに思わず喜びや楽しみを見つけてしまう。それだけで、この世に身体がある=生きている楽しみがある。それの積み重ねが生きている意味かもしれない。

 

〈教養としての宗教入門~基礎から学べる信仰と文化~ 中村圭志〉

これはちょっと番外編というか毛並みが変わるのだが。

読もうと決意したきっかけは、ある日ニュースを見ながら「私は宗教のことさんざん地理で覚えたようで全然知らないんだなあ」と漠然と思ったことだった。言い方が悪いが、ワンピースとかドラゴンボールとかそんなご長寿で愛されているコンテンツって、きっと愛されている意味があるのだから、いつかは履修すべき!みたいなアニオタの意地みたいなものが私の血には滾っている。そんなに愛されているなら、私も知りたーい!というミーハー心にも近いかもしれない。宗教もある意味そうだと思ったのだ。世界中の人がそれを信じる。推しが好きすぎる!そんな光景を宗教なんていう風に言ったりするが、その原点となった宗教ってそもそも何なのか。私は何も知らないから、知りたいと思ったのだ。私もまだまだまだ勉強中なのだが、この本はすごくフラットな目線で宗教が、どのように生まれたか?理念は?どのような特徴があるの?ということ宗派を横断して話している。タイトル通り、教養として学ぶ上で分かりやすいと思った。勿論これだけでわかった気になるな、というのはごもっともなのだが。そうだ、アニメだって原作とオフィシャルガイドブックと設定資料をみてやっと履修したな…という気になるではないか。だが、つっかかりはアニメという存在である。この本もそういうアニメというポジションになりうると思う。

この本の中で印象的だったのは、P55より

 

ここで注意していただきたいのは、「神仏が果たして存在するかどうか」などといったことは、この場合、二の次三の次の問題だということである。そんな哲学的な存在論などというのは信者にとってどうでもいいのだ。

 大事なのは、信者であるとないとによらず、我々人間が、常に何か「希望」をもって、つまり、何か自分の支えとなるものを信じて生きているという、平凡な事実だ、あるいは愛する者たちと同じ空間を共有していることを心の支えとして生きているという、平凡な事実だ。

 幸福な人生を歩んでいる人は、この希望や心の支えを意識しないで済む。この人にとって、信仰としての宗教は要らない。薄い文化としての宗教に触れているだけで十分だ。

 しかし、厳しい人生に陥った人は、この希望を意識し、心の支えを希求せずにはいられない。すなわち濃い信仰としての宗教が必要になるのだ。

 

なんというか、当たり前じゃん!?と言われたらそれまでなのだが、今までなんで宗教というものが存在するのか?といったふわっとした疑問を解決してくれた言葉だった。

生と死、そんなことを思いつく時点で今、自分にもしかしたら希望が足らないのかもしれない。

と、そこに焦点をあててさらに紹介する。

3月のライオン 海野チカ〉
まず、死ぬのが怖いとか生きてる時間が尊いはずなのにという悩みを日常で思い出す人はすでに少し心がしんどくなっている。
そういう事を考えてしまう時は、既に心が弱っている時なのだと思う。
何かもっと死とかふんわりしたものより、具体的な悩みがある、または、心の病気、または、生理前。まずはこの三択を疑うべきである。
もう不安がなくて楽しいしかない時、そんな風に思わないもの。
 というわけで、ここに関しては3月のライオン13巻(羽海野チカ著)を引用する。

『ーこれで私、死ぬ時にちゃんと『ああ 行き切った』ーと思えるのでしょうか…』
『『生きる』って事についてなら 僕思うんです。『自分もいつかは死ぬんだ』って事を、忘れて呑気に日々を送れてしまう事…それって人間の持っているちっぽけな権利のひとつなんじゃないかなって。』

無意味に生きていることに対する罪悪感を抱けるって、すごく優しい人なんだなって思ってしまう。でもその生はあなたに与えられたものなのだから、そんなに気にする必要もないのだろう。それを”ちっぽけな権利”と表現してくれたことがうれしかったのだ。

3月のライオンは好きなシーンやことあるごとに思い出してしまう部分がたくさんある。もう一つあげるなら、5巻の最後で

不思議だ 人は こんなにも時が 過ぎた後で 全く違う方向から 嵐のように救われることがある

この言葉が好きだ。全く違う方向からというのが味噌だ。こんなこと何になるんだろう、そう思っているときこそ、何かに救われることもある。(その経験という意味で言えば、私は逃げるは恥だが役に立つの最終回でみくりが小賢しい女の呪いから解放されることなど、まさにそれだと思っている。)生きるというのは、そういう嵐が明ける瞬間に出会うことなのかもしれない。

 

次に。そういう事を考えている時は、暇だ。笑

あと真剣に悩んでいる人に言う事じゃないってわかっているのに、申し訳ないけれど、きっとそう言う時間は無駄だ。私もすぐ答えの出ない事を悩んでしまうけれど。
 というわけで、ここに関しては宇宙兄弟16巻を引用する。


『俺は去年のISSミッションが初のフライトだったわけだが・・・ずいぶん待たされた。
同期の奴らがどんどん先に選ばれる中、なぜ俺だけ選ばれないのか、考え苦しんだ時期もある。
なぜ俺は任命(アサイン)されないのか。
他の奴と何が違う。デカい事に何か問題があるのか。じゃあそもそもなぜ俺は宇宙飛行士になれたんだ。
『俺はなんで、今ここにいるのか』
正直、教官の前でペンを落としただけでも・・・「注意力が散漫な奴だ」と言われ、減点評価されるんじゃないかとビクつくことさえあった。」
「それで・・・アンディは、どーしたの・・・?」
「考えるのをやめたさ
目の前にある訓練や仕事をさらに増やして、それで頭いっぱいにしてやった。
そういう意味では、このNEEMO(ニーモ)訓練は、俺にはちと物足りんな。
俺が本気の時は―もっとガンガン働けるぜ、ムッタよ」

 

きっとそれに悩む以上に向き合うべきこととか、できることが山ほどあるのだと思う。まずは、それをこなしてから悩んでもいいのではないだろうか。

 

そういう私もこうやって文字を紡いでいる暇があるのなら、早く課題の山を片付けなければ…うっ…しっかりするのよ私…悩んでいても課題は提出できないのよ…

でも、こうやって生活に流されながら、巨人の肩の上に立ちながら、生きていくしかないなと思っている。