好きはきっと最高級

好きなことの話をざっくばらんにします。

犬王見届けようぜ!

映画の予告編でどこまで何をだすか、問題については常に付き纏う問題だと思う。その作品のコア層に響くようにしたり、概要をわかりやすく伝えたり。情報を出しすぎると、結論が読めてしまうとひかれてしまったり、逆に出さなすぎると何が見れるかわからないと広まらなかったり。映画をみるきっかけとして、もちろんTV広告や街頭広告もあるだろうが、結局映画好きは、映画の幕間で予告を見て、それが見に行くきっかけになるのだろうと思う。それを思うと予告編がいかに見にきて欲しい人を捕まえられるか、それが予告編の意味合いだと思う。


それで言うと『犬王』は、最終的に見るべき層に行き渡ったんだろうが、予告の段階でとても行き渡っていたとは思えない!口コミ頼りも甚だしいな…と思っていた。(後々、それが監督の意向だったりしたんだろうな、と思う部分もあり、単純に見せたい人に見せるのも公式さん苦労されてるんだね、と思う)

予告ではフェス要素と歴史的要素が強く、アニメ平家物語を引き継ぐような歴史がわかる作品であり、ライブはその中の要素なのかな?と言った風貌だ。でも、実際今劇場で繰り返し見ている層は二つだと思う。音楽・フェス的要素が好きな層と、犬王・友魚の"なかま"だけでは言い表せない関係がツボっている層、だ。

私は特に後者にもっとアプローチすれば、もっとオタクは最初からこの映画を見ることに注力したのに…!と思ったりする。


まず、音楽・フェス的要素が好きな層、について。初めから、ミュージカルアニメと銘打っているが、実際多分(明確に測ってないが)上映時間97分中60分程度は音楽パートだ。ほぼ音楽。しかも、大友良英の音楽と、主人公の声も務めるアヴちゃんの書き下ろした歌詞によって構成されている。音楽とイラストが合うのは勿論なのだが、歌う人が歌詞を書いているので自分の得意分野(歌回しとか)に引き込んで、曲が作られているので、余計に曲の良さが際立つのだ。もちろん内容は監督と相談したとアヴちゃん自身も言っていたが、昔から歌詞を書いていて、アヴちゃん自身の独特の節回しが完璧にマッチしているのが素晴らしいと思う。加えて、森山さんの歌捌きもすごい。(オーコメですごく監督が力弁しているので是非聴いて欲しいのだが、)琵琶法師としての語りから歌に流れるように変わりゆき、ロックに受け継がれゆく様の声の使い分けというか、なめらかさがすごい。犬王はすごく好き嫌いが出る作品だとは思うが、受け止められないポイントとして、歴史もの和のはずなのに、ロックミュージックじゃん、と言う点がある。たしかに気にしてしまったらそうなんだよね、としか言いようがないが、集中しているとその隔たりを忘れるくらい、森山さんの堂々っぷりだ。二人の歌唱力も勿論だけれど、湯浅監督独特のなさそうで有る、有りそうでない、世界観ってミュージカルに合うんだな、としみじみ思った。私は森見登美彦の大ファンだけれど、森見登美彦のSF(すこし不思議)が大好きだ。多分絶対ないけど、実は私の知らないだけでそこにあるかもと言う距離感。それを再現するのに、ただ再現しても日常だし、微妙な距離感でファンタジーに映像化してくれた、湯浅監督作品たち、夜は短し歩けよ乙女、四畳半神話体系が大好きだ。今回も、異形の人間、呪い、幽霊(魂?)といったファンタジー要素はあるものの、舞台セットがもしかしたらこの時代にできたかも?という現実味を帯びていたり、まるで現代のライブDVDかと言わんばかりのカット割だったり、この微妙な現実と夢の境い目の映像がこんなに、ミュージカルと合うのかー!と言うのが一つ感動だった。これは個人的に好きなシーンの羅列だが、腕塚の腕を切られるシーンで犬王がのけぞり、犬王の上をいく刃物(?)からの目線で面がアップになるシーンなんて、胸熱ものだなと毎度そのシーンで鳥肌が立つ。私はただただミーハーにライブ好きだが、ライブ好きなら一度はこのカットで推しが歌う姿が見てみたい、そう言うカットがアニメだからこそ再現されている部分もあり震える。映画だけれど、オンザライブ、その感覚を覚えるからこそ、一度見た人はもう一度"劇場"という環境で見たくて、だからこそ四周目の今も劇場に足を運ぶ人が増えつつある作品なのかなと思う。


次に、犬王・友魚の"なかま"だけでは言い表せない関係がツボっている層、である。決して、腐ってるとは、言わないが。こう言う付かず離れずの距離感というものは、オタクにとってたまらなくないか?

多分、その象徴となるのが野木亜紀子さんの脚本だと思う。私が野木脚本作品で好きなものといえばMIU404があるが、これもバディの付かず離れずの絆が描かれていたものだと思う。信頼とかそんな薄い言葉では語れない、縁なんてものでもない、一生切れることはないけど密着しているわけではない、そんな何とも言えない距離感を台詞だけで描くのにすごく長けた方だと思う。犬王では監督や野木さんのインタビューが豊富に出ているので、それを読む限り相当そのバディ感をだす会話というのは削ぎ落とされたんだろうなと思う部分もある。その一方で、削ぎ落とされたとしても二人の関係性を示す情報量は多く、なんなら削ぎ落とされた余白は私たちを掻き立てていると思う。笑笑

異形の姿で生まれたが、比叡座の舞台にその名を轟かさんとした犬王と、犬王に魅せられ犬王の歌を広めようとした友魚、その二人のバディものとしてのこの映画の見方をより多くの人にして欲しい。(あわよくば二次創作もたくさんして欲しい)これは、半分Twitterの感想からの受け売りではあるのだが、この二人のパッと見と、映画を見た後の二人の"ギャップ"が大きいのが、オタクによりささるポイントになっていると思う。犬王は人間とはとても思えぬ醜い姿でいかにも現実離れしており、それに対して友魚は自分で歩き琵琶法師に弟子入りしともすればある意味真っ当に生きている人間、と見える。が、実際は、犬王は京都という都で生まれ、一流の能の一族で育ち、芸術への目が耳が肥えている上に、長い迫害の中である程度自分という存在を受け止めその中で自分の"使い方"やどのようにすれば相手にどう思われるか、そう言ったある意味の人付き合いに機敏なのだ。道化を演じているだけで、中身はとても成熟した存在。一方で友魚は、父と自らの目を理不尽に失い、その思いをどこか消化できず、犬王という厳しい状況下でも輝く存在に憧れというより、尊敬に近い感情を抱き、その生き様を伝えることに使命感を覚える、どこかアダルトチルドレンみも少し感じる、人らしい人、なのだ。見た目と中身のギャップ、映画の中でそれが描かれていくことで、少しずつ登場人物の角度があがり、のめり込まれる。この二人が最終的にどんな決断をするのか、それを見届けた時の胸の苦しみたるや、である。

余談だが、第二弾来場者特典として展開された、野木さん曰く"公式の二次創作本"であるところの、野木亜紀子書き下ろし幕間冊子、では二人の距離感がより細かく描かれている。たかが10P、しかもセリフのみの情報量としては薄いのに、こんなに一言一言に二人の成り立ちや思いが見えるか…!と震える。野木さんのことが好きです、と思わず告白しちゃいそうな一作だ。公式さん、円盤に絶対これ入れてね、と思う。今からハマった人これ読めないの可哀想だな…と。


最近、pixivの投稿数も増えて、犬王という作品の魅力に取り憑かれている人が増えていることを感じる。それが必ずイコールになるとは思っていないが、二次創作がたくさん出る作品は、すごくファンに愛されている作品だし、ヒットのポテンシャルを持っている作品だと思う。四週目にして上映回数は減っているけれど、たぶんねちっこく劇場に通う人が後を立たない作品だと思うので、沢山のひとが犬王の魅力に気づいて……欲しい。


私はとりあえず、応援上映行きたいです。