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ご褒美とこれから(アベンジャーズED 感想考察)

『ご褒美みたいな体験だったように思います。』

アベンジャーズ エンドゲームを見た後に、終物語のインタビューで神谷浩史さんが仰られていたのを思い出した。

(続終物語パンフレットほか、何箇所かでお話しされていたかもしれない)


例えばソ連をオマージュした映画を見たとき、そのソ連の歴史に知見が深ければより楽しめるが、知らないと楽しめない部分があるのだ。本当の意味でその作品を理解できているか曖昧だ。その一方で、10年続けられてきた〈物語〉シリーズはそれそのものが、裏付けの歴史であり、それを見ることで全てを知る事ができる。私たちは歴史を見ているのだ。それは、長期連作でなければ得られない深みであり、上記の例えのような謎が全て解決する、それはまるでご褒美だと。


アベンジャーズエンドゲームはその22作品に対する、ファンへの、まさにご褒美なような作品だな。ただただ、そう深く頷ける作品でした。


((((以下アベンジャーズエンドゲームの多大なるネタバレを含みます)))







今回、ざっくりいうとタイムトラベルで失った人を取り戻そう!という物語なわけで、

過去のアベンジャーズ シリーズに登場した様々なシーンを追体験することになる。

また、そのシーンの裏側やちょっとした続きまで楽しめてしまう。

こういう部分は本当に、今までアベンジャーズシリーズを見てきた人へのご褒美ほかならない。

とくに、ウィンターソルジャーを思わせる、キャプテンアメリカvsヒドラ inエレベーターはキャップ好きのわたしには堪らなかった……歴史から戦闘を避けるって天才じゃあないか………


ご褒美はそれだけじゃない。エンドゲームはアベンジャーズ シリーズに出てきたキャラ達に『己は何者か』という道標を示す物語だったと思う。

それがご褒美なのかと聞かれたら、困るんだけど、少なくとも私は好きなキャラが幸せに生きることは嬉しいし、それが己は何者か何をする者なのか、に直結すると思っている。


劇中でソーの母が

誰もが理想の自分になれず苦しむのよ。善き人、善きヒーローになる為には、ありのままの自分を受け入れる事が大事。

とソーに話していることが頭に過ぎる。


はじめトニースタークは、人を傷つけることも想像せず、自分のために商売を行なっていた。それが『私がアイアンマンだ』と宣言した日から少しずつ、大義、世界のためにヒーローとして生きることになる。しかし、エンドゲームの中では、(初期のトニースタークとは違った意味で)自分とその愛する人の為に生きることも考える。常に揺らぎ続け、どのように生きるか悩み続けるのだ。最終的に、彼は『私がアイアンマンだ』という大義を胸にこの世を去った。揺れるスタークにペッパーは『でもそれでゆっくり眠れるの?』と声をかける。

純粋に、悪夢にうなされず日々健やかに生きられるのか、という意味かもしれない。IW後の宇宙船ではろくに眠れそうにないようであった。だが、このままそれを思い出せずに死ねるのか?という事でもあるのだろう。このまま箱に鍵をかけ、タイムトラベルの事なんて忘れて、大義に足を踏み入れず生きたとして、貴方は死ぬ時にそれを後悔しないの、という問いだったのかなぁと思う。常に死と隣り合わせのアベンジャーズ としての活動と普段のトニーを見てきたペッパーだからこそ、添い遂げる覚悟があったからこそ、貴方の人生のエンドについて漏らしたのかもしれない。

トニーは時空GPSを思い付きだといって作ったし、ペッパーのアイアンマン(?)スーツだって作っていた。どこかに大義に対する思いを忘れられずにいた事を見え透いていたペッパーがとても辛い。

大義の為に個を疎かにした事は、トニーの父であるハワードが後悔していたこともタイムトラベルの間に知ってしまった。だから、ペッパーとの別れの時に、決まり悪そうに目を逸らしたのかもしれない。自分はそうはしないと思っていた事をしてしまった、愛する家族を置いて、この世を去ると。それに対して、ペッパーが『大丈夫だから、ゆっくり眠って』という。これは彼の生き方に対する赦しだとも思う。常に大義か個かと揺れ続けた中で、私たちは貴方がどんな生き方をしようと大丈夫だから、と言いながら送ってもらえた事。せめても、トニーが心安らかに眠れたのではと思うと………


げきえも感情で死ぬ。。。。。。

(頭の整理をしながら書いているので長くなりましたが)


もう一人、圧倒的に己は何かを見つめなおしたのはキャップだと思う。

ティーヴはインフィニティストーンを返して、ある意味戻って来なかった。スティーヴロジャースとして、かはわからない。そうするとその時代に二人スティーヴロジャースが存在するわけだから、もしかしたら名前を変えて、すなわち彼は彼として。ひ弱だった頃も、氷から掘り起こされた頃も、アイアンマンと仲間割れした頃も、多くの友を失ってもなおアベンジした頃も、全てを汲みとった彼自身、その人生のアイデンティティは失わず新しい人生を生きた。

いくつか要因はあったのだろう。彼は、指パッチンで失った人々を励ます活動をしていた。その中で、『世界はこの手の中にある。大切にしなければ。』このメッセージを5年間何百回も伝えてきた事だろう。インフィニティストーンを返しに行った時、その手にはアイアンマンの作ったGPSがあった事だろう、それを大事にするにはどうしたらいいのだろうと。

また、アベンジャーズ の中では一番古く親交もある、ナターシャにお前は自分の人生を生きたらどうだ、となげかけたとき、ナターシャは彼に『お先にどうぞ』と返すのだ。そう返してくれた彼女はもういない。家族のために、身を挺してしまったからだ。しかし、それはある意味彼女なりの答えなのだろう。今まで、心まで誰にも属さず生きてきた彼女が、初めて身を埋められる場を得た、そしてその家族の為に生きたいと思ったのだ。そんな姿を知ってしまったロジャースには、順番が回ってきたロジャースには、新しい自分というアイデンティティをもった生き方をしなければと考えたのかもしれない。

そして、バッキーの新しい人生だ。バッキーは、ワガンダでまったりと過ごしていくことになる。(いやiwに巻き込まれてるじてんでまったりなのか)彼の家族や故郷は、ロジャース同様に、もうないとも言えるかもしれない。しかし、ワガンダのコミュニティの中で根を張り、仲間たちと生きるのに安定した様子も見せている。親友がそのように、穏やかな、自分の選択で生きられる場を見つけられた事を少なからずスティーヴも知っていたことだろう。


このように、一人一人が己は何か、己はどう生きるのかに向き合ってきた。だからこそ、スティーヴは自分の人生を生きようとしたのだと思う。彼の根は結局正義だ。大義ではなくとも、大事な人は守りたい、とか、約束は守るべきだ、とか。そんな小さくもみえる正義を、まず守りに行ったのだろう。

私は大好きなキャラが、これまで翻弄しかない人生を送ったにしろ、少しでも健やかな時間を過ごせたなら嬉しい。


終わりとして、色々複雑な部分がないと言えば嘘になる。ただ、この今までアベンジャーズ を見てきた人にとって、胸躍って、とにかくご褒美とサプライズの多い時間をくれたことにただただ感謝しかない。

本当にありがとう。


そして、まだ己を見つけられていない、各々のキャラクター達がまた新しい自分を見つける瞬間を見られるのを楽しみにしています。